MONOCOTO(モノコト)を推進するコシオカ産業は、バネの製造を生業としてスタートをしました。しかも、自動車や家電製品に付随する精密バネでは無く、比較的精密の低い日用品に付随するバネ(洗濯ピンチのリングなど)を手掛け、その後、クライアントのご要望にお応えをする形で、線材加工品、プレス加工品、プラスチック部品、ハンガーフックなど‥‥ありとあらゆる部品を約5000種類OEMとして生産をさせて頂き、高度経済成長の時期も相まって会社としても成長をして参りました。
しかし、バブルが弾けた平成5年頃から、受注が急激に減って来ました。
この原因は、外的要因として、モノの飽和状態、消費の急激な減速、完成品での中国生産‥‥‥これらにより急激に受注が減速して行ったのでした。内的要因としては、どこの会社でも出来る部品の製造を手掛けていた事‥‥‥これに尽きると考えています。要は、会社としての存在意義が希薄であったと云う事だろうと考えます。とは云うものの、急激な売上の落ち込みをカバーしなくてはならず、部品から完成品へ生産を移行する事にしました。
ただ、私達には、完成品を生産するノウハウが無かった為、当時、市場が冷え込む中、日の出の勢いがあった100均市場に入り込む事にしました。何故なら、上記に加え、新興市場と云う事から、既存メーカーは商品の供給を渋っていましたので、私達としてはハードルが低い状況で納入が可能だった為、運よく完成品での供給が出来た訳です。これにより、ひとまず創業事業の落ち込みがカバー出来、会社も安定する事が出来ました。
しかし、事業モデルや将来の展望を考えた時、今のままの事業戦略では成長戦略とは成り得ないモノでした。
と云うのは、まずビジネスモデルは、部品と完成品‥‥又は市場の違いはあるにせよ、「受注生産型のビジネスモデル」と云う事です。そこには、受発注の関係性はあるものの、パートナーシップとしての関係性は存在しません。これも又、会社としての存在意義は希薄であり、それでは創業事業の二の舞になります。加えて、近い将来を考えた時、必ず生産原価は、資源や人件費の高騰により上昇します。100均と云う天が決められた市場にあっては、いずれ利益率が低下して行くのは明らかな事でした。
本格的に成長戦略として、社会貢献が出来、社員達にとってもやり甲斐と誇りを持って貰える様なビジネスモデルを構築して、会社を継続成長させなければならないと考えました。「時代が要求するモノ」「クライアントが困っている事」‥‥本質的な課題‥‥それは何か?‥‥そして私達に出来る事‥‥これがビジネスモデルを考える上での一番のテーマでした。
「モノが勝手に売れる時代」から「モノが売れない時代」へ‥‥‥モノが売れないのだから、そこには一葉にそれぞれ各社が抱えておられる課題が必ずある筈だ‥‥‥そしてその課題は「モノづくりプロセス」の中にしか発生しない筈だ‥‥‥この様な仮説のブレークダウンから「モノづくりの課題解決事業」‥‥これは、現代において潜在的な欲求があり、刺さるビジネスになる‥‥これを成し得れば、クライアントに喜んでもらえる‥‥おぼろげながら私達がしなくてはならないビジネスモデルが見え始めました。
そこで、モノづくりにおけるプロセスを全て洗い出し、そのプロセスの中で、私達に出来ないプロセスは、その分野で高いスキルセットを持った会社と業務提携をし、それを繰り返す内に、2008年に全てのプロセス‥‥パズルが埋まり、大阪府の経営革新事業としの認可を受けるに至った訳です。このビジネスモデルの背景には、創業以来、低予算の開発投資で且つ安価な金属部品、プラスチック部品を5000種類手掛けて来たと云う実績と、100均市場への導入における、低価格での完成品づくりノウハウ‥‥今まで私達が歩んで来た道程がベースにあります。従って、MONOCOTO(モノコト)は、創業事業と懸け離れたモノでは無く、実は創業事業から今日までの集大成であり、ゴールであり、最終形であると考えています。現在は、出来あがったMONOCOTO(モノコト)を更にブラシュアップさせながら、クライアントに喜んでもらえる様なサービスにして行かなければならないと考えている所です。
以上が、MONOCOTO(モノコト)サービスができた経緯、についてお話させて頂きました。
次回は、MONOCOTO(モノコト)サービスについてわかりやすい解説を掲載します。
コシオカ産業株式会社 代表取締役社長 越岡晃司
2015年8月20日(木)